「CT対山谷裁判」の被告である救世軍少佐・山谷 真の裁判日記です。

第三回口頭弁論のお知らせ


事件番号 平成20年(ワ)第10777号 損害賠償請求事件(通称「CT対山谷裁判」)

原告 株式会社クリスチャントゥデイ 高柳 泉 矢田喬大
原告側訴訟代理人 高須和之弁護士 朝倉 隆弁護士(ケルビム法律事務所

被告 山谷 真
被告側訴訟代理人 紀藤正樹弁護士 山口貴士弁護士(リンク総合法律事務所

裁判長 萩原秀紀判事
陪席裁判官 梅本圭一郎判事 大原純平判事(東京地裁民事第17部合議係

期日 平成20年9月22日(月)午後1時30分
場所 東京地方裁判所 民事第17部 民事第712号法廷(7階)
※ 本裁判は終始一貫して民事第712号法廷で行なわれます。

当日は、原告被告双方とも「提出した準備書面の通り答弁します」とだけ述べて口頭弁論は終了すると思われます。実質的に5分も要さないでしょう。その点をご理解いただいた上で、出来るだけ多くのみなさんに裁判の傍聴に来ていただければ幸いです。裁判は、誰でも傍聴することが出来ます。

みなさんの傍聴こそ、被告に対する最大の支援です。

口頭弁論の後、法廷に隣接する待合室にて「裁判説明集会」を行ないます。被告側訴訟代理人の紀藤正樹弁護士と山口貴士弁護士より答弁の主旨説明があります。被告本人も質問にお答えします。みなさまぜひご出席ください。

裁判説明集会の後、東京地裁地下の喫茶店にて「裁判支援者懇談会」(通称オフ会)を行ないます。参加される方はコーヒー代250円(税込)を各自ご負担下さい。

本件についてのお問い合わせはsaiban.taisaku@gmail.comへどうぞ。

2008年5月22日

裁判縁起覚書正本 巻之三

クリスチャントゥデイ創刊

2004年4月。春とは言え、まだ寒い日が揺り戻すようにやってくる時でした。わたしは、ポストに届けられたばかりの「クリスチャントゥデイ」の紙面を、救世軍士官学校教官室の机の上に広げて、読み入っていました。そうして、わたしは頭の中でいつのまにか、そろばんをはじき始めていたのでした。

もし、このような印刷媒体を全国に4500か所もあるプロテスタント教会に送付するとしたら、印刷代と郵税を併せると、毎週数百万円を費やさなければならないことになります。これだけの額になりますと、印刷会社としても、新聞社の側が最低でも一ヶ月分の印刷代金に相当する保証金を事前に積むのでなければ、仕事を引き受けないことが当然考えられます。

後日わたしが知ったことですが、紙媒体の「クリスチャントゥデイ」が全国の教会に何の予告もなく突然送付されて来た時、キリスト教関係者の間では、それだけのことを可能にする資金を、いったいどのように作っているのかが、疑問として話題に上がったということでした。興味深いことに、時期を同じくしてやはり紙媒体の「クリスチャントゥデイ」が韓国系教会に一様に送られてきたオーストラリアでも、同様の驚きと戸惑いがあったということです。


資金についての疑問

日本では、とりわけてもキリスト教メディア関係者の間で、「クリスチャントゥデイ」への関心が高まったということでした。キリスト者人口が極めて少ないこの日本で、日夜新聞作りに苦心しているメディア関係者たちならではこそ、「クリスチャントゥデイ」が資金をどのように算段し、取材をどのように行ない、紙面をどんなDTPで製作しているか、専門的な関心が寄せられたのです。

これもまた後日わたしが知ったことですが、メディア関係者が、挨拶回りに訪れて来た高柳泉氏、安原力氏、k氏らに、資金や紙面製作について質問を投げかけてみると、驚くべきことに高柳氏らからは「昼間は紙面の製作をし、夜は三人が居酒屋などでアルバイトをして資金を作りながらやっています」との答えがなされた、ということでした。

常識的に考えて見て、そのようなことが果たして可能なのでしょうか。このことを考えるために、ここで少しシミュレーションをしてみたいと思います。

もし高柳泉氏と安原力氏とkさんの三人が、時給2000円という破格のアルバイトの条件のもと、毎晩8時間働き、それを月に28日間続けて、三人合計で月に130万円の収入を得ることが出来たとして、その全額を紙面製作に注ぎ込んだとしても、定価250円、原価100円の週刊新聞を全国4500か所の教会に発送するためには、郵税を含めて毎月300万円以上が必要となります。すると、この三人がたとえスーパーマンであったとしても、300万円の出費と130万円の収入の差額である約170万円の赤字が、毎月必ず生じることになってしまうのです。


ダビデ張在亨氏をめぐる疑惑

2004年4月当時、いったい「クリスチャントゥデイ」の資金繰りがどのようになっているのかが、日本のキリスト教関係者の間でしきりに話題になっていたちょうど同じ頃、お隣りの韓国では、クリスチャントゥデイの常任理事であるダビデ張在亨牧師に、統一教会の前歴があった疑惑が浮上し、さらにまた、突然の「クリスチャントゥデイ」の創刊で関心が高まっていたアメリカ合衆国やオーストラリアの韓国人社会にも、韓国のニュースが伝えられて、ちょっとした騒動となっていたのでした。

ここで、ダビデ張在亨牧師が、どのような履歴を持つ人であるのかについて、触れておくこととしましょう。また、そうした履歴が、韓国のキリスト教界に対してどのように隠匿されていたのか。さらに、隠されていた履歴が、どのように露見したのかについて、振り返ってみたいと思います。


俗離山をいただく地

ダビデ張在亨氏は、韓国の忠清北道の沃川に1949年10月30日に誕生しました。

忠清北道は、大韓民国の地図を見ますと、ちょうどその真ん中あたりに位置し、車嶺山脈と小白山山脈に挟まれた、韓国八景の一つに数えられる霊峰「俗離山」をいただく一帯です。そのあたりはまた、ソウル特別市を流れる漢江の水源にもなっています。古文書である『三国史記』をひもときますと、新羅の第4代国王、脱解尼師今(だっかいにしきん)の第7年(西暦63年)に、その一帯の支配権をめぐって百済と新羅の間に紛争があったことが記録されています。新羅では、第23代国王、法興王の御世の第15年(西暦528年)に仏教が導入され、それから百年余を経て、第28代国王、真徳王の御世の第7年(西暦653年)に、俗離山の麓に法住寺が建立されました。

大変興味深いことですが、韓国の異端問題専門誌『月刊現代宗教』が1997年に報じたところによると、ダビデ張在亨氏は1994年に設立した「ハンビット大学宣教会」の会員たちに対して聖書講義を説きながら、この教えは自分が俗離山に通って神から直接に啓示されたものである、と強調していたということです。後日わたしが入手することになる、k氏が筆記した「東京ソフィア教会」の聖書講義のノートを見ますと、大きな文字で「俗離山」と書かれたページがありました。また、先のハンビット大学宣教会は、1997年頃に「CEF」に名称を変えるのですが、この俗離山の麓で毎年のようにCEFの修養会が行なわれていた時期があるということを、後日、脱会者から聞かせていただきました。そう考えますと、ダビデ張在亨氏にとって俗離山という霊峰は、宗教的に非常に重要な体験と結びついた、特別の場所であるのかもしれません。


統一教会の活動に献身

さて、1967年2月にチョンサン高等学校を卒業したダビデ張在亨氏は、翌1968年3月に建国大学校に入学し、行政学科で学んでいます。1971年に大学を卒業したダビデ張在亨氏は、忠北・タルソンに行って、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の開拓伝道に従事しています。

大学卒業後すぐ統一教会の開拓伝道に従事したという事実は、ダビデ張在亨氏が、この建国大学在学中に、統一教会の「大学原理研究会」の伝道を受けて入信し、献身したということを示しています。

翌1972年にダビデ張在亨氏は「大学原理研究会」に戻り、1975年までの三年間、統一教会の大学伝道の基本単位である「学舎」(教会に相当)の「学舎長」(牧師に相当)を務めています。統一教会の大きな柱である大学原理研究会は、学舎を拠点に、キャンパスでの勧誘活動や、聖書の講義、修練会を行ないます。また、統一教会に入信すると、週に一度は、教祖である文鮮明夫妻の写真の前にひざまずいて祈りをささげるということです。このような学舎の伝道活動を指導する立場であるわけですから、「学舎長を務めていたとなれば、幹部であることは間違いないと言える」という見解が、当然のことながら示されることになります。


合同結婚式に出席

統一教会の信者が、日々の激しい伝道活動に明け暮れるのは、ひとえに、合同結婚式に出席して教祖である文鮮明夫妻から祝福を受けたい一心からであるわけですが、ダビデ張在亨氏は1975年2月にソウルの奬忠体育館で開催された、いわゆる「1800双」の合同結婚式に参加して、祝福を受けました。「双」というのは、カップルという意味で、1800組の夫婦が合同結婚式で誕生した、ということを表わしています。

1800双と言えば、現在の統一教会では古参メンバーという位置づけになっています。ここ日本では、2000年に保岡法務大臣の秘書官が「1800双」出身であることが発覚して、その年の8月30日に行なわれた第149回国会参院決算委員会で、社会民主党の福島瑞穂議員がこれを取り上げて追及したのでした。その質疑の中で福島議員は、「合同結婚式に当時出席するということはかなりの活動家です。今お聞きしているのは、脱退をしたかどうかについて法務大臣は確認をされたのでしょうか」と問いただしています。

つまり、1800双であるということは、合同結婚式に出席するために確固とした統一教会の信仰に立って相当な活動をして来た人物であると考えなければならないのであり、その人物が国政に関わる仕事に就くにあたっては、本当に統一教会を脱退しているのかどうかを明確にしておく必要があるのであって、それには国会の場で追及しなければならないほど重要な公益性がある、ということなのです。そうであれば、1800双であるダビデ張在亨氏が、統一教会の信仰を捨てているのかどうかについて、同じように明らかにされなければなりません。なぜなら、その事はキリスト教界の公益に関わる事柄であるからです。

1800双となったダビデ張在亨氏は、1977年1月に統一教会の「大学巡回伝道団」の団長に就任し、合宿と献身生活による統一教会の人材育成にあたっています。この大学巡回伝道団は、巡伝団とも言われ、大学原理研究会によって今日まで毎年のように発団式が行なわれて来ており、巡伝団で育成された人たちが、現在の統一教会の重要な担い手になっています。


民族原理化の夢

この頃のダビデ張在亨氏の「巡伝団団長」としての活動の様子を、統一教会の定期刊行物『統一世界』の1977年7月号は、次のように紹介しています。

「小天国の父の役割を担う張在亨団長は、忠北・沃川に生まれ、建国大学法学部行政学科の出身である。在学時、大学総学生会長団の渡日のとき、建国大学代表として参加し、唯一残っている。みこころのうちに縁がつながり、引き続き原理研究活動をして、卒業と同時に忠北・タルソンに行って開拓伝道をし、のちに原理研究会に再び戻って72年から77年1月までシンチョン学舎長を経験した。77年1月に巡回伝道団長として発令を受け、ハンナム学舎の責任を担う多才多能な活動派である。彼の活動力にはかなう者がいない」
さらに、「今後の夢は何ですか」と質問する『統一世界』の記者に対して、ダビデ張在亨氏は、「青年とともに民族原理化に若さをささげることです。摂理に従い、民族を超えて世界人の原理化が可能であることを、必ずお見せします」と答えています。

1977年当時、統一教会の信仰に対して、これほど大胆な確信と行動力を持っていたダビデ張在亨氏は、この後1980年代を通じて、統一教会系学生団体である「国際基督学生連合」(ICSA)の設立に携わって事務局長となったり、また、メソジスト系の神学校である「聖化学院」を統一教会に引き渡して、これを統一教会の大学である「鮮文大学」に改変するための工作を行なうなど、異彩を放った働きをしています。

2004年4月に、救世軍士官学校の教官室で、届いたばかりの真新しい「クリスチャントゥデイ」を手にしたわたしは、そのようなことは何一つ知らず、ただ、その美しいカラー印刷の紙面に感嘆していたのでした。

それからしばらくして、救世軍本営から届いたファックスを読んで、わたしははじめて、このクリスチャントゥデイの背後にダビデ張在亨という人物がいることを知ったのです。それは、2004年6月18日。春はすでに終わり、夏へと向う季節となっていました。

(巻之四に続く)

「裁判縁起覚書正本」は今後、週に一回のペースで上梓する予定です。

目次

巻之一
巻之二
巻之三
巻之四
巻之五
巻之六
巻之七


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